ダリス便り
キール。
今日ダリスの王都に着きました。
クラインの王都を後にして、10日、ダリスは遠いですね。
クラインは春も盛りでしたが、北の地であるここは、まだ山々に雪が残り、木陰や軒下にも、雪の塊が残っています。
花はまばらです。
王都につくまで、ダリスの国内を見てきましたが、あちこちに荒廃した場所が残り、前王の暴挙は、まだまだ国内に深い爪痕を残しているのだと思いました。
これから一年、どんな事があるんでしょう?
楽しみなような、怖いような…
でも、クラインとダリスの親睦を深める為の、交換研修ですからね、私とガゼルは、クライン騎士団の名を汚さぬよう、精一杯がんばるつもりです。
ダリス騎士団の方々は、暖かく迎えてくれました。
アルムレディン陛下も、直々にお言葉を下さいました。
私とガゼルは、今夜の晩餐会に呼ばれています。
あまり気は進まないのですが、私達の為の歓迎だそうなので、これから出席します。
え?ドレス?
着ませんよ。私は騎士です。
キール。
今日は、湖まで遠征です。
王都の西に、大きな湖があるのですが、騎士団の演習地が傍にあるのだそうです。
半日ほどの行程で、湖に着きました。
とても大きくて、向こう岸が霞んでいます。
綺麗な湖です。クラインの湖を思い出します。
満々と澄んだ水を湛えた湖面に、青い空と、雪化粧をした山々が映えて、これで精霊が見れたら、さらに美しいだろうと思いました。
ええ、見たいです、精霊を。
貴方が見ている風景はどんなのだろう、なんて、いつも思うんですよ。
貴方はきっと、鬱陶しいだけだって言うんでしょうね。
でも、私は見たいんです。
ぼんやり風景を、眺めていたわけじゃあありませんよ。
今回の訓練は、実践形式の演習なので、なかなか厳しいものでした。
私とガゼルは、それぞれの陣営に別れたので、模擬戦闘中に何度も顔を合わせてしまいました。
彼があんなに腕を上げていたなんて、驚きです。私も負けていられません。
此処では後二日間戦闘訓練が行われます。
ダリス騎士団の人達は、長い間レジスタンスをしていた方が多いですからね、実践で鍛えられた戦法は、本当に勉強になります。
すべてを学んで、クラインに持って帰りますね。
キール。
ダリスにも本格的な春がきました。
こちらでは、花達はいっぺんに咲き始めるんですよ。本当に、一晩寝て、起きたらもう春になってました、という感じです。
今日はお休みを頂いたので、カゼルと街へ出ました。
以前、諜報活動で潜入した時に比べたら、街は見違えるほど賑やかで、活気があります。
カゼルに、あの時の話をしながら、街を歩きました。
でもね、困りました。
昔、見習のころ。カゼルが私に『絡まれ易さ1』なんて、不本意な順位をつけてくれた因縁なんでしょうか?繁華街でやたらと声をかけられて、挙句に柄の悪そうな人に、しつこく言い寄られました。
丁度、ガゼルとはぐれていたんです。
勿論、丁重にお断りしましたが、丁重すぎて、警邏の方に怒られてしまいました。
ここでもやっぱり、こうなるんですかね?なんだか憂鬱になります。
カゼルなんて酷いんですよ。
『やっぱり、こうきたか』ですって。あんまりだと思いませんか?
好きで絡まれているわけじゃ、無いんですから。
でも、私がとても怒ったので、お詫びだと言って、ケーキと紅茶をおごってくれました。
ダリスにも、美味しいお店があるんですね。
また行こうと思います。
キール。
北国の春はあっという間ですね。
緑はもう深くなって、すでに初夏の装いに、なっています。
気候が良くなってきたので、騎士団では毎年恒例の、単独強行走破訓練が行われるらしく、みんなそわそわしています。
これは、レジスタンス時代、仲間とはぐれたり、道に迷ったりを想定して行われた、訓練の名残なのだそうです。
それぞれが、日時を変えて、二週間、単独でダリス連山を走破します。
水や食料は、五日分しか携帯を許されません。足りなくなったら自分で調達するのです。
他に持っていける物は、剣と薬だけ。強い意志と、日頃の鍛錬が試される、もっともきつい訓練です。
すべてが終わるまで、二ヶ月はかかるそうです。
参加者は、事前に医師の診察を受け、訓練に参加できるか判断されます。
私は勿論参加するつもりです。
カゼルも参加するといっていますし、こんな事で二の足を踏んでいたら、レオニス隊長の顔に泥を塗ってしまいますからね。
でも、妙な事に、私が参加すると言うと、騎士団の先輩達が、みんな揃って驚き、次に止めさせようとするのです。
どうしてなんでしょう?と、始めは不思議でした。
それに、急に、訓練に纏わる怖い話をみんながするんです。
やれ、遭難したとか、一人きりの山の中が絶えられず、頭がおかしくなった者がいるとか、熊やモンスターに出会って瀕死の重傷を負ったとか。
ガゼルが笑って裏事情を教えてくれるまでに、大方察しはついてきましたけどね。
見た目がどうであっても、私は騎士です。
レオニス隊長の下で、厳しい修行に耐えてきたんです。姫をお守りする近衛としての誇りもあります。
こうなったら、絶対後には引けません。意地でも参加しますよ。
クレベール隊にシルフィスあり、という事を、ダリス騎士団にも教えてやります。
大丈夫。心配しないで下さい。
私はちゃんと、やり遂げますから。
キール。
誉めてください。
単独強行踏破訓練を、私はやり遂げました。
カゼルも一緒です。
こちらの隊長のエルンスト様が、『クライン騎士団侮り難し』と言ってくださいました。
面目躍如で、とても嬉しいです。
でも、ごめんなさい。
やっと宿舎に戻って、二週間分の汚れを落としたら、もう眠くて…
今日は、寝ます。
おやすみなさい。
キール。
ダリスに来て、もう半年になりますね。
今日、メイが来ました。
私たちと同じ、交換研修で、こちらの魔法研究機関に、客員魔導士として、半年間籍を置くそうです。
宿舎は私と同じで、しかも隣の部屋なんですよ。
嬉しいです。
さすがに懐かしい顔を見ると、クラインが恋しくなりますね…
ずっと訓練ばかりで、里心がつく暇も無かったんですが、メイを見た途端、魔法研究院を思い出しました。
キール。貴方に会いたい…
今夜も晩餐会です。ええ、メイの歓迎祝典です。
苦手なので辞退しようかと思ったのですが、メイとアルムレディン陛下に、ぜひ出て欲しいと言われてしまいました。
私は騎士の正装で出ます。
メイは『魔導士がドレスなんて着ない』と言い張っていましたが、アルムレディン陛下が、何か画策しているようです。
陛下は、ものすごくメイを気に入っておられるようです。なんだか気になります。
今日一日、陛下は片時もメイをお傍から離そうとなさらなかったんですよ、メイも疲れたと言っていました。
どうしてなんでしょうね?
キール。
やっぱりです。
今日、シオン様がいらっしゃいました。
表向きは、セイリオス殿下の親書をお持ちになられたという事ですが、メイに会いに来たのは、バレバレです。
メイがこっちに来てから、まだ1月経ったばかりですよ。
でも、お寂しかったんでしょうね。
メイを見た時の、あの嬉しそうな顔。思わず笑ってしまいました。
何時も飄々としているのに、メイの事となると、どうしてあんなに、見境…いえ、真剣になるんでしょうね?
ところが、メイはプンプン怒っているんです。
聞いてみると、どうやら子供扱いしていると思っているらしいんです。
シオン様はそんなメイを宥めながら、それでもやっぱりからかうので、あやうくダリス王宮で、特大ファイアーボールが炸裂しかけました。
クラインの王宮では何時もの事ですから、誰も驚きはしないでしょうが、ここでそんなクライン名物を出したら大変です。
ひょっとしたらダリス戦役がもう一度勃発してしまうかも…
私もガゼルも必死で止めました。
まったく。
シオン様は笑っているだけなんですよ。
それでも、あんまり嬉しそうにしていらっしゃるので、私もガゼルも、文句が言えなくなりました。
メイだけは、蹴りつけていましたけど…
シオン様は、三日間滞在されて、アルムレディン陛下のお返事をもって帰られる予定だそうです。
メイとシオン様が並んでいると、まるでここがクラインのようです。
姫様やセイリオス殿下、それに、お兄さんやレオニス隊長…みなさんどうしていらっしゃるんでしょう?
シオン様から、変わりないと伺いましたけど、やはり懐かしい人達が気にかかります。
…そうですね、キール。
後たったの五ヶ月です。
大丈夫、ホームシックなんて、かかっている暇はありませんよ。
キール。
秋です。貴方の好きな枯葉の季節。
今日は森に来ています。
木立の中から貴方が現れるのではないかと、思わず探してしまうほど、静かで綺麗な森です。
ダリスの木々は、すでに落ち葉が始まっていて、踏む度にかさかさと内緒話をしてくれます。
そちらでも、落葉は始まっていますか?
いけない、紅葉に気を取られているような場合ではありません。
私は訓練でここに来ているんです。
林間部での単独行動訓練です。
森の中で散開し、参加者全員がそれぞれ敵となってのゲリラ戦です。
ダリス騎士団には、こんな訓練が多く残っていて、ほんとうに面白いです。
ただ、陣営を敷いての訓練だけでなく、個人の能力を高めていく修練に重点が置かれています。これはぜひとも、クラインに持って帰りたい内容です。
結果ですか?
首尾は上々、私は五人の騎士と対決して勝ちました。
でも、悔しいです。
ガゼルはなんと、エルンスト隊長に奇襲をかけて、勝ってしまったんです。
もし、私が遭遇できていたら…いえ、そんな事を考えるのは止めましょう。
運もまた、実力のひとつです。
カゼルの上達振りには舌を巻きました。
負けていられませんよ、本当に。
キール。
ダリスは冬が早いです。
落ち葉の季節が終わらないうちに、もう雪が降り始めました。
ダリス連峰は、すでに雪化粧を終え、北部では積もり始めていると聞いています。
長い冬篭りの季節です。
街の中ではあまり変わりませんが、郊外の農家などは、長く雪に埋まる家を守るために、雪囲いという作業に大忙しです。
われわれ騎士団は、各地に点在している警備の為の駐屯小屋の整備に駆り出されました。
でも、私もガゼルも、そういうことに慣れていなくって、足手纏いになっただけかもしれません。
作業の後は、慰労と称して、誰かが酒樽を持ち出してきて、何時の間にやら酒盛りです。
騎士団の人達は酒豪揃いです。
それにとても陽気な人達が多いんですけれど、貴方の事をみんながしつこく聞いてくるので困りました。
こういう時、ありがたいのは友達ですね。
私の横で、カゼルが半分くらい引き受けてくれて、助かりました。
ただ、お酒が入って口が軽くなっていて、あることないこと、好きなように言ってくれるのは、あまりありがたくはありませんでしたが…
あ、安心してくださいね、貴方に言われた通り、私はあまり飲んでいませんから。
おかげで、酔いつぶれた人達の介抱で、余計疲れましたけど…
冬の夜空は、澄み切っていてとても綺麗です。
南の方に、ひときわ輝く星を見つけました。
貴方の瞳のように、緑の光を放つ、美しい星です。
貴方に見守られているような気がします。
キール。
ダリスの冬は、クラインとは比べられないほど厳しいものですね。
今日は激しい吹雪です。
そんな中で、シオン様がいらっしゃいました。
月に一度の、セイリオス殿下の親書と、向うに派遣されている研修員の報告書を携えて。
以前は別の人でしたが、メイが来てからこっちは、シオン様が買って出ていらっしゃるようですね。
でも、今日は少し慌しくなりました。
シオン様が同行してこられた商隊が、峠で立ち往生しているらしいのです。
魔法の結界で保護をしてこられたそうですが、このままでは遭難してしまうという知らせです。
クラインから、冬に必要な物資の数々を持って来る途中という事で、救助隊が派遣されました。
私やガゼル、そしてメイも後学のために同行しました。
雪に慣れた騎士団の手際の良さは目を見張るものがあります。
一人の遭難者や物資の欠如も出さずに、救助は無事に終わりました。
戦役の時、なぜ冬に宣戦布告があったのか、よく判りました。
メイが大樹を破壊して、魔法兵器の乱用を止め、今の騎士団の方々が反乱軍として味方についていなかったら、この冬将軍に慣れたダリス軍に、クラインは手酷い痛手を受けただろうと思います。
すべては女神の掌の上
古い諺が思い出されました。
あの時、クラインは良い星の下にあったのですね。
王宮で商隊の無事を祝い、ささやかな祝賀会が開かれました。
これから雪に閉じ込められるダリスでは、冬用の物資はとても貴重なのだそうです。
お酒が大好きな騎士団の皆さんは、早速乾杯の音頭をとって祝杯をあげ始めました。
実は隠れた酒豪のメイも、嬉しそうにダリス産の蒸留酒をカパカパあけていきます。
きついんですよ、あのお酒は。
まあ、横にシオン様がついていますから、何の心配もないんですけど。
ひとつだけ、私が妙に気になったことがあります。
相変わらずシオン様は、下心見え見えでメイにお酒を勧めていて、メイもそれを判った上で、ぐいぐい飲んでいるんですけど…そんな風に、楽しそうに寄り添っている二人を、アルムレディン陛下が、時々ちらっと見ては、なんとなく不機嫌そうなお顔をなさるんです。
ねえ、キール。
これは私の取り越し苦労ですよね。
アルムレディン陛下が、メイのことを気に入っていらっしゃるのは知っています。
でも、メイとシオン様が恋人同士なのも知っていらっしゃるはずですよね。
気にすることはないですよね、だってそれ以外では、陛下はとても上機嫌でいらっしゃいましたから…
キール…
私はきっと、見てはいけないことを見てしまったんだと思います。
ダリスの王宮の庭も、深い積雪にうずもれ、遠い春を待ちわびています。
その中で、四季を通じて綺麗な花を咲かせている、温室があるんです。シオン様が丹精されている、温室よりは、ちょっと小振りなんですけど、それでも素敵な場所です。
メイはそこがお気に入りで、仕事で疲れた時などは、よくうたた寝していたりするんですよ。
多分、シオン様の温室を思い出しているんでしょうね。
今日も、そうして眠っているメイを見つけたので、何か掛けないと風邪を引くと思い、マントを持って中に入りました。
森の中のように設えられた温室の木立の間を、メイのいる場所に近づいた時、彼女に誰かが屈み込んでいるのが見えました。
アルムレディン陛下でした。
眠っているメイに、口付けていらっしゃったんです…
あまりのことに出ていけないでいると、メイが目を覚ましました。
何をされているのか気が付いて、陛下を突き飛ばして怒り出したメイに、なんとあの方は、求婚なさったんです。
私も驚きましたが、メイはもっと驚いていました。
ええ、もちろん彼女は、即答で断りましたよ。
メイにはシオン様がいるんですから。
喧嘩ばかりしていても、二人がどれだけ愛しあっているか、私もよく知っています。
でも陛下は、諦めないっておっしゃるんです。
ダリスとクラインの今後のためにも、帰国までに考えて欲しいって…
あんな言い方はずるいと思います。
メイも言い返すことが出来なくなって、走っていってしまいました。
メイを見送って、陛下は私に声をかけてこられました。
ええ、私は気配なんて殺してませんでしたから、
さっきの言葉が許せなくて、私は睨んでいたんだと思います。
陛下は潔い態度ではなかったと、反省しておいででした。
でも、ただ諦めることも出来ないのだと…
私には何も言えません。メイの決める事だと答えました。
…私も、かなり腹が立っていたんです。
宿舎に戻ったメイは、烈火のように怒っていて、吹雪で峠が閉鎖されているのに、すぐにクラインへ帰ると大騒ぎです。
事情を知らないガゼルはただ困惑するばかり。( 訳を話した途端にやっぱり怒り出しましたけど…)
箒を持ち出して、飛んで帰るというメイを、なんとか思い留まらせました。吹雪の中を箒で飛んだりしたら、遭難する事は目に見えていますから。
困った事になったと思います。
メイの心は変わらないでしょう。それは確信しています。
でも、アルムレディン陛下も簡単には諦めないでしょう。
こんな波風を立てるなんて、女神様の悪戯なんでしょうか?
キール。
腹が立ちます。
アルムレディン陛下がメイに求婚した噂は、何時の間にか宮廷中に広がっていました。
ダリスにとって、前王の野望を砕いたメイは救国の英雄です。その彼女が王妃になるのは、ダリスにとって願ったりの事なのは判りますが、だからと言って、会う人遭う人が、口を揃えてメイに薦めなくてもいいと思うんですよ。
気の早い人は、もう既に婚礼の準備をはじめると言い出しています。
峠は完全に雪に埋もれ、もう春まで誰も通れません。
だから、シオン様も来ることは出来ないんです。
私は、メイが何時爆発するか気が気ではありません。
おまけに、何を間違えたのか、私にまで求婚してきた人が居ました。
私が結婚できるはずがないでしょう?
私が女性に分化したのは、貴方の為なんですから…
腹が立っていたので、ついつい鄭重とは言えない断り方をしてしまいました。
きっと明日、騎士団に有力貴族の御子息から、抗議が入るでしょう。
でもきっとその方が笑われるだけですよ。
私がどういう者なのか、エルンスト隊長は知っていますから。
それにしても、アルムレディン陛下には驚かされます。
噂が定着したとなるや、メイに対しておおっぴらなアプローチを掛けていらっしゃるんです。
なんとなく、昔、シオン様がメイを追い掛け回していた時のようです。
ただ一つ違う点は、シオン様には遠慮なく放てたファイアーボールが、陛下には出来ないという事です。
最近では、私かガゼルが一緒でないと、メイは外出するのもおぼつか無いほどです。
この研修も、後一月。
もうちょっとの辛抱だと、私は慰めています。
キール。
雪が脅威になるなんて、クラインでは滅多にありませんよね。
でも、ダリスでは雪というものは敵でもあるんです。
今日は雪中訓練です。
あの湖の側の訓練場で、雪の中での戦闘や、雪への対処の仕方を鍛えます。
国が違うと、色々な違いがあるものです。クラインでも、これは考えないといけない事ですね。
ですが、今回の訓練の途中で、ちょっとした出来事がありました。
岸辺がすっかり凍った湖の湖面で、近隣の村の子供が遊んでいたのですが、一人の子供が氷を割って湖に落ちてしまったのです。
手が切れるかと思うほど冷たい水です。早く助けなければ、子供は死んでしまうでしょう。
騎士団の人達は即座に簡易の船を出し、氷を割りながら子供を捜しました。しかし、湖の底に沈んでいた子供を見つけ出した時には、子供の息はもうありませんでした…
でも、子供は助かりました。
実は、メイも今回の訓練に同行していたんです。
表向きは訓練の際の負傷者を治療する為、という事になっていますが、本当は、訓練で私達がいなくなった間に、陛下に追いかけ回されるのが嫌で、無理やりついて来ていたんですけどね。
岸に上げられた子供に、メイが治癒魔法を掛けました、同時に、騎士による人工呼吸も施され、子供はどうにか意識を取り戻しました。
ほんとうに良かった…
騎士団のみんなも、子供が助かって嬉しそうです。
でも、これはこれで、やっぱり失敗したかな?と、後でメイが呟いていました。
そうなんです、救国の英雄が子供を助けたと、王都では持切りの話題になってしまって、それこそ、ぜひ王妃に、と詰め寄る人まで出る始末。
まったく、何が災いするかわかりませんね。
峠の開通が待たれます。
キール。
やっと春が来ました。
街中にはまだまだ雪が堆く積もっていますが、肌に感じる風は日々柔らかくなっていきます。
街でガゼルと仲良くなった子供が教えてくれるには、道の乾いたところが多くなると、春が来ていると判る、ということでした。
確かに、お日様も日増しに明るくなっていくようです。
今日、峠が開通したと知らせがありました。
近隣の人々が、交通の為にがんばって雪を退かしてくれたのだそうです。
私達の研修も、今週で終わりです。
メイは待ちきれなくて、もう荷物の整理をはじめています。
今週はもう訓練はありません。
その代わり、王宮と騎士団で、なんだか色々と式典があるらしいです。
堅苦しいことは苦手ですし、メイの事もありますから、なんだか気が重いです。
キール。
今日で研修は終わりです。
私達は明日、ダリスを発ちます。
この一年、色々な事がありました。
見るもの聞くものが皆珍しく、何もかもが新鮮で、あっという間に過ぎたような気がします。
今夜はお別れの為の晩餐会です。
メイと私は、無理やりドレスを着せられました。
似合わないから嫌だと言っても、陛下のたっての希望といわれたら断りきれません。
もともと私は、メイのエスコートをするつもりだったのです、二人ともがドレスを着てしまったら、どうしたらいいんだろうと、困っていたのですが、カゼルがメイのエスコートを買って出てくれて、私には、なんとエルンスト隊長がエスコートしてくださいました。
レオニス隊長並みの堅物で通っているエルンスト隊長です。本当に驚きました。
おかげで、言い寄ってくる人がいなくて助かりましたけどね。
晩餐会の時は、人妻ほど人気が出るんだと、隊長が笑うんです。
だったら何時ものように騎士の正装にさせてくれればいいのに、としみじみ思いました。
ここがクラインで、エスコートが貴方だったら、似合わないドレスを着る甲斐もあるのに…
でも、最後の夜ですから、我慢しましょう。
陛下は、最初のダンスの相手に、メイを選ばれました。
実のところ、メイはこれが嫌だったんです。申し込まれる度、言われる度に断ってきた求婚ですが、陛下にもこれが最後の賭けなのかも知れません。
私もエルンスト隊長も、ダンスは苦手なので、ありがたく壁の花になりながら、陛下がメイをベランダに連れて行く後姿を、はらはらしながら見送りました。
二人がどんな話をしたのかは知りません。
ただ、一人で戻ってきたメイは、すっきりした顔で、全部済んだと言いました。
陛下が諦めて下さったらしいです。
私もほっとしました。
可笑しかったのは、それを聞いた途端に、エルンスト隊長が盛大なため息をついて見せたことです。
騎士団一同期待していたのに残念だと、冗談まで飛び出しました。
それを受けて、王妃の座は惜しいとは思うが、放って置くと何をするか判らない、スチャラカ魔道師の監視をしないといけないから、とメイが笑います。
ここのところ曇りがちだったメイの、久々の笑顔に、私はやっと安心できました。
最後の思い出にと、陛下はラストダンスを申し込まれ、求婚騒動は、やっと終わりを告げました。
キール。
今私は、雪原で見つけたあの緑の星を見ています。
本当に、貴方の瞳のように綺麗な星です。
いつも遠話をありがとう。
私が出した手紙に、手紙を書くのは苦手だからと、あんな難しい術で返事をくれて…
貴方の声が聞けて、私は嬉しくてしょうがなかったんですよ。
だからこの一年、がんばって来れたんです。
でも、あれはとても力の要る高度な術だとメイに聞きました。
無理していませんか?それだけが心配です。
後10日です。
そうしたら貴方に会える…
もう気持ちはクラインに戻っています。
クラインはきっと、花が咲き始めているんでしょうね。
去年、私達のラボの庭に、桜草を植えていきましたが、今年はもう咲いていますか?
でも、期待はしないでおきましょう。
研究に没頭している時に、そんなところまで気が回らないのをよく知っていますから。
帰ったら、おいしい料理をたくさん作りますね、こっちで覚えたものもいっぱいあるんですよ。
待っていて下さい。
でも。
この手紙が先か、私が先か、どちらが速いんでしようね?
今はただ、何よりも貴方に会いたい。
キール・セリアン様 シルフィス・セリアン
何通もの手紙を読み返して、キールは柔らかな笑みを浮かべた。
「無理なんかしていないさ、お前が居ない方が、きついからな…」
ふと、机の前に開かれた窓に、きらりと光るものが見えた気がして、薄物のカーテン越しに外を見る。
きらきらと春の日差しを反射しながら、大きな紙袋を抱えた妻の姿が、大通りから曲がってくるのが見えた。
一年分の土産話と、一年ぶりの夕食の材料を抱えて、二人の家へと帰って来る。
華奢な体で颯爽と歩く姿がまぶしくて、キールは更に微笑を深めた。
人前では絶対に見せない微笑のまま、彼は立ち上がる。
「夕食より、食いたいものはあるんだけどな…」
ついもらした呟きに、微かに頬を染めながら、ドアを開けられそうにない妻を迎えるべく、キールは家の扉を空けた。
「おかえり、シルフィス」
END